コーヒーに浮かぶ泡ひとつ

コーヒーを飲むのが好きだ。

仕事中は水のように飲んでしまっているけれど、素敵なカップに注がれた挽き立てを楽しむのは休日の楽しみの一つ。

おまけにコーヒーにひとつできた小さなあぶくを見つめられる時間があれば言うことはない。

真綿のように締められながら膨らんだ重い気持ちを、日常の中で収めるにはちょうど手頃な時間。

泡沫に消えた筈のものを後生大事に抱えて生きている私には欠かせない時間だ。

私はたぶん極端、だ。

すごく関心があるか、全くないか、だ。

興味のないものに時間をかけて何かを構築するのがとても苦手だ。つまり、聞いてるフリはできても、長くは続かないし、相手に知れてしまうくらいに集中できなかった。

霞を食べて生きていければいいのにな。

日々の暮らしが忙しくなり、仕事に打ち込めば打ち込むほど、隙間の時間で考えるのは泡になって消えた筈の想い出。

人生に迷ったふりをしていた学生の頃、毎日通っていた純喫茶があった。確か当時、既にスタバができたくらいの時代。こぎれいでモダンなカフェは街中に出ればあった。

快晴の日でも窓ひとつない純喫茶の店は真っ暗で時間の感覚が無くなる。身近にある異空間へ旅立つ装置。

高校時代に勉強を放棄していたこともあったけれど、後ろに進学を予定していた弟と妹のことを考え、適当に短大に進んだ私は腐っていた。

何となく受けた学校に初日、隣にいた学生から「助詞ってなあに?」と質問されて落胆した。推薦で進学した人は全く試験がいらなかったことを後で知った。インターネットなんて言葉も知らなかった時代のこと。

美術部の後輩へ手紙を書いたり、その話を共有できる友達と一緒に過ごしたりした。

そう、共有できた人が一人いた。

私たちは大半の時間、ケンカをして口をきかないか、ひどく語り合った。秘密を共有しているような気持ちにすらなっていた。

当時、一方的に振り回されていたつもりだったけれど、きっと私には人を不快にさせる欠落した何かがあるんだろうな。でも自分には分からない。

コーヒーのあぶくをみると、そんなことを思い返す。泡沫に消えた出来事が、この泡一つで思い出せるんだ。そう思いながら、爪の先で脆い玉をはじいた。