かげろう

母は不要なものをほとんど持たない。
だから家の中はとてもスッキリしている。

 

インテリアが好きな母と相談して
家具やカーテン、絨毯に絵を選んだので、
私にとっても心地の良い空間。
でも自分の部屋に戻ると
正直がっかりしてしまう。
物が溢れているのだ。

 

テイストや配色に気を配っているのは同じなのに
私の部屋だけ垢抜けないように見える。
整理整頓が行き届いていない。

 

大事だと思って仕舞い込んでいたものが
山のようにあった。
2畳のクローゼットがパンパンだった。

 

本当に必要なんだろうか。
カゲロウのようにゆらめく何かにうしろ髪ひかれて
大事なものだと思い込みたかったのだろうか。

 

要るものと要らないものを振り分けながら
今の私にとって必要なもの、大事なもの、
ときめかせるものが何かを再認識する。

 

自分が今ほんとうに大切にしているものは何で
惜しむくらいに大事なものは何かを実感できる。

 

カゲロウになってくすんでいるものを、
きらきらと輝くものだと思い込んでいた。

 

そうだ、私は捨てることに、
とてつもない罪悪を抱いていたんだ。
大事だった筈のものを手放すのは
とても薄情だと思っていた。
けれども時間も細胞も止まることはない。
どんどん代謝していく。
いろいろなものが先へ先へと歩を進めている。

 

持っていたことすら忘れていた
書類や写真を見ながら、
過ぎていった人、切り離してしまった人、
いま身近にいる人、これから会うかも知れない人、
そんな人たちに想いを馳せる。

 

きっと今あることは全て必然だったんだ。
恐れず前を向いていれば、
またあらたにキラキラと輝くものに
出会えるかも知れない。

 

長い連休も終わり、
夜が明ければ日常に戻る。
怒涛のようにこなすべき仕事が待っている。

 

けれども忘れてはいけない、
朝になれば、私たちの上には必ず陽が昇るのだ。