空っぽの話

家の電話が鳴った。
学校から帰って来てあまり時間は経っていない。
両親は働いていたし、弟は部活、妹は友達と遊んでいるのだろう。
受話器を取ると聞こえてきたのは美術部の後輩の声。
クラゲが好きだと騒ぐ気まぐれな少女だった。

 

「ね、薫ちゃん、ひま?」

 

受験生に問いかける言葉とは思えないけれど、
何か話したいことがあって電話してきたのだろう。
暇だよ、と素っ気なく答えた。

 

「私の部屋ね、いま空っぽなの」

 

からっぽ?

 

「急に、部屋のものが重苦しくなって。
 この前から少しずつ色んなものを捨てたんだけど、
 机もベッドもぜんぶ捨てた」

「うそ…ほんとに? お母さんに何も言われなかったの?」

「言われたよ『頭おかしいんじゃない?』って。そうかもねって言っておいた」

「訳わかんない…なんで…どうするの?勉強は?どこで寝るの?何してるの?」

「ウチの親と同じこと言わないでよ!どうにでもなるよ」

 

彼女は家族との折り合いが上手くいってなかった。
ありがちな思春期特有の反抗期だったのかも知れない。
でも半径1メートルで生きている私たちには毎日の出来事が一大事だった。

 

「風邪ひくよ、だいじょうぶ?」

「だいじょうぶじゃない」

「じゃあもう起きなよ」

「やだ」

「やだって…なんなの」

「…踏まれたの」

「?」

「頭を足で踏まれたの。そうしたら床に落ちてた画びょうが刺さって」
「え?!」
「だから、だいじょうぶじゃないよ」

 

彼女は奮える声で「だいじょぶじゃない…」ともう一度つぶやいた。

 

「もうやだよ、こんなのやだよ、こんな家やだ。
 どうしたらいいか分からないよ、もう生きていたくないよ」


この時にはもう彼女は涙声だった。
それなのに、どんな言葉を掛けたらいいのか分からなかった。
先輩後輩とはいえ年齢は一つしか違わない。

「何もかも全部すてたいよ、みんな無くなればいいのに、
 この世の中ぜんぶ、どうでもいい!」

 

受話器の奥からは震え泣く声しか、もう聞こえなかった。

 

* * *

 

毎日まいにち、部屋の中のものを捨てる勢いで片付けながら、
彼女のことをふと思い出していた。
あの時の私には分からなかったけれど、
ひょっとしたら、今の私みたいな気持ちだったのかな。
何処かへ飛び出したいのに何者にもなれず
どうすることもできず今にしがらみ留まっている自分への苛立ち。
それを“捨てる”ことで昇華していたんだね。

 

私はあの時、子ども過ぎて分からなかったよ。
ただただ驚いて戸惑うばかりだったよね。

 

部屋のもの、全て捨てた後、貴女がみた景色、どうだった?
何か違う世界がみえた? 新しい世界へ旅立てた?

 

今だったら分かってあげられたのに、ごめんね。
あの時の君。