ひきずるもの

近所でいつも目に留まる男の子がいた。
肌が白くて目がぱっちりしていて睫毛は房のようだった。
笑うと可愛らしい屈託のない顔だった。
一学年下の私は、それを何時も遠巻きにみていた。

 

彼は何時も遠くにいた。
学校の中でも外でも誰のそばにもいなかった。
そんな姿に自分をうっすら重ねていた私は、
ことあるごとに目で追っていた。

 

10歳を過ぎて体に急に変化を遂げた私は
途端に口数が減った。誰とも一緒にいたくなかった。
体の成長をからかわれるのがどうしても嫌だった私は、
毎日のように登下校を一人で済ませていた。

 

そんなある日のこと。
何時ものように一人で家路にむかっていた時、
言い争うような声が耳に入った。
振り返るとそこには二人の少年から追われるその少年がいた。

 

100メートル先ほど近くなったところで私の存在に気づいたらしい。
意地悪な男子たちは最後に彼は罵しり小突いた後、
猛ダッシュをして消えて行った。
その場に倒れ、また立ち上がったあと、全力で追いかけようとしたが、
悲しいくらいに全く追いつかなかった。
半身に障害がある少年は、びっこをひいて走るほかない。そしてまた転んだ。
その場には、遠くから囃し立てる声と彼と私だけが残った。

 

体が不自由であるという理由で、彼は特殊学級の児童だった。
ほとんどが知能に障害をもつ子どもが在籍するクラスの中で、
彼はとても目立っていた。
意志の疎通が難しい子ども達の中で、彼だけは教師を正面から捉え、
話にきちんと耳を傾けていた。
ものを理解して判別している意思がはっきりわかる強い目を持っていた。

 

 

俯いてベソをかいていた。
私は動けずにいて、ただそのまま見つめていただけだった。
私の気配で彼は見上げた。目と目があった。
みっともない姿を見られたくないと思ったのか、
目を反らし彼はびっこを引きながら立ち去ろうとした。

 

「待って!」

 

彼は驚いて振り返った。

 

「血が出てるよ。だからバンソウコあげるから待って」

 

会話をしたのは初めてだった。
近所に住んでいるから顔は知っている程度の間柄だ。

 

「ずっと…見てたの?」
目をそらしたまま彼は聞いた。

 

「見てた。ごめん…でも見てただけだった」
本当のことだ。そう言うしかなかった。

「別に助けてもらわなくてもいいよ」


ズボンの膝に大きな穴が空いてしまっていたから、
バンソウコは直ぐに貼り終わった。
たまたまクラスの子からもらったキャラクターの
水色のかわいいバンソウコだった。

 

「貼り終わったよ………ごめんね」
何をどういって良いのか分からなかった。

 

「なんで謝るの?」

「あいつら、ウチのクラスの男子だから」

「そうなんだ」

「いっつもああやって人をいじめるの。どうしようもない奴らで。
 私、あいつらが嫌いなんだ」

 

そこで初めて彼は私の方を見た。

 

「ボクが特殊学級なの知ってるでしょ?…話すの、イヤじゃないの?」

「なんで?どうして?」

「皆んな、ボクのこと、頭おかしいって思ってるでしょ?」

「思ってないよ。足と手がちょっと不自由なだけで、だって勉強できるでしょ?」

「…わかるの?」

「見てたら分かるよ。表情が違うもん。私たちと変わらないよ」

 

目を丸くしたと彼は少しはにかみながら言った。ありがとう、と。

 

「ボクね、生まれつき体がちょっと動かないところがあるんだ。
 でもそれだけなんだよ。掛け算も割り算もできるんだ。
 漢字も得意なんだよ。普通の子に負けてないつもり。
 ……でも皆んな信じてくれなくてバカ扱いするんだ」

 

頑張ってるのにな、と悔しそうに言う。
顔をそむけるので、静かに彼の横顔をみた。
睫毛が微かに震えているのを黙ってみている他なかった。

 

 

しばらく、顔を見合わせた時は、
一緒に寄り道をしながら帰った。
通らなくていい道をわざと通って、
日々の何気ない話をした。
特殊学級の教師の苦労話を面白おかしく語ってくれたり、
遠くからみる普通クラスの子たちの人間模様を
それとなくたずねてくるようになった。
彼が誰に心を寄せているかも直ぐに分かった。
実りを期待しない控えめな彼のために下手に騒ぎ立てることはなく、
日々の様子を淡々と静かに報告するようになった。

 


音楽の時間に先生に誉められていたよ、掃除の時間も笑顔が絶えなかったよ。
きょうはピンクの服を着ていて、かわいいリボンをつけていたよ。
あの子は本当に皆んなに優しくて人気者で、たくさんおしゃべりしていたっけ。
とってもキラキラ輝いていたよ。本当にほんとうに眩しいくらいに素敵だったよ。

 

 

ある時、ふとした事で疎遠になった。
深い理由はなかった。たぶん長い休みに入って顔を合わせることが減った。
お互い子どもだったけれど思春期を迎える微妙な頃だったし、
電話番号を交換してもいなかった。
遠くから何度か姿をみることはあっても、廊下ですれ違うばかりで、
話をすることは無くなっていった。そのうち彼は小学校を卒業した。
中学にあがったら再会するだろうと思っていたが、
人伝に「養護学校に進んだらしい」ことを耳にした。
本人は強く嫌がっていたらしい、という言葉も添えて。

 


彼は何時も静かに微笑んでいた。
好きな女の子の話をするとき、いつも穏やかな笑みを浮かべていた。
目を細めて喜んでいたっけ。時に頬が赤くなることも。
でもそれ以上何かをすることはなかった。
そんな彼が養護学校に進んだのだ。

 

彼の初恋が静かに終わりを告げたことを、
私は一年遅れで知った。

 

 

学年も違っていたし、
私はその後すぐに遠くの地へ引っ越してしまったから、
名前も分からなければ、今どこでどうしているのかも分からない。

 

でも、ふとした時に思い出す。
元気かな?誰かと一緒に幸せになれたかな?

 


人ってどうして差別するの?
どうして線を引きたがるの?


人をフルイにかけて上と下を決めて、
多い者と少ない者とに振り分けて、
それで自分が大人数の一人になること、
そんなに大事?
 

どうして自分と違うものを追い出そうとするの?
なぜ一緒に笑うことができないの?
なぜ共に手を取り合うことができないの?

 

何が嫌なの?何を恐れているの?
自分の椅子が奪われるかもしれないって、
怖いからなの?

 

私には分からない。
分からないわからない。
分かりたくもない。

 

あの男の子の初恋が実らなかったことがガマンできないだなんて言わないよ。
でも、あともう少し、違うカタチにはならなかったのかなって。
遠くから、本当にすごく遠くから黙ってみつめて、
ただただ見つめるだけだった彼の想いは、
もっと違うカタチで昇華できなかったのかな?

 

せめて一言くらい、
言葉をかわすことができれば良かったのに。

 

 

この前、足をひきずって歩く子どもがいた。
その子はただの捻挫だったのかも知れない。
でもそんな姿をみていたら思い出した。

 

幸せでいてくれますように。
どうか、お願い。