一期一会

顔を合わせば目を細めて喜んでくれたマダムのことが、とても気掛かりだった。


その人は、ダンス教室に通うグランマの一人で、地元にある大きな会社の重役の奥方。

お財布を開けば、万札が何十枚も入っているような羽振りの良さ。

ダンスがあまりにもヘタクソで、金儲け主義なスタジオだと囁かれてしまう理由の一つになっていた。

何を踊ってもジルバのようにピョコピョコと弾む。失笑する人も多い反面、楽しそうに踊る、ということでもよく話題にのぼった。何時も笑顔の人で、楽しいことが大好きな人だった。


趣味はダンスに留まらなかった。詳しく聞かなかったので把握はしていないけれど、地元の何かのイベントの折に、お茶を点てている姿をみた。美しく着物をきこなしていて、挨拶をするとはにかんで一礼くださった。


在日だった。何世かまでは聞いていない。何度か朝鮮の菓子や飲み物だといってくれたことがある。

私はその手のことにこだわりはなく、寧ろフラットでいたいと思うクチだけれど、中にはやはり口汚く罵る人もいた。

カラオケで彼女が十八番のアリランを、歌うだけで「このチョンが」と舌打ちするマダムを目にしたこともある。


特別に仲良しという訳ではないけれど、グランマ特有の無邪気さで、不意に誘われて長話にお付き合いしたこともある。

旦那様との馴れ初めから、子どもの産まれた頃の話、その子どもたちが巣立って立派になった、幸せだわ、という話を2時間ほどかけて伺った。


そんな彼女に一つ不幸が訪れた。

最愛の夫が亡くなった。


しばらくに喪に服し姿を見せず、現れた頃には随分とやせ細っていた。

食べさせる相手がいないと食事を取る回数が減ったと言っていた。


懐には変わらず万札しか入っていないお財布があったし、送り迎えもいたし、身なりも綺麗で何時も仕立てた服を着ていた。

物質的には変わらず不足もなかったけれど、大きな家で一人で過ごす彼女に、別の異変が彼女を襲った。


二つ目の不幸なのかも知れない。


ある時から半身が上手く動かず、踊りに支障を来すようになった。度々滑って転倒をした。

そのうち、口が回らなくなり、滑舌が曖昧になり始めた。注意深く耳を傾けないと言葉が聞き分けにくくなった。


どうして、人はああいう時、分かりやすく蜘蛛の子を散らしたようにいなくなるんだろう。

見ているとスタジオの中で彼女は何時も一人になっていた。

どうして良いか分からないから、返事しないで来ちゃったわ!と周りが口々に言うのをみて、言いようもない憤りを感じながら何度も失望した。


確かに、おかしい、と思い出してから3カ月後には何を話しているか分からなくなっていた。


脳神経に支障を来しているのは明らかだったから、叱られるのを承知で、度々、病院にかかることを勧めたし、仮に何を言っているか分からなくても、顔を合わせたその時くらいはせめて側にいようと努めた。


ちなみに、検査を勧めると、彼女は歯医者に通ってるから治れば大丈夫としか言わなかった。

いっそ奥方の会社に電話をしてしまおうか、不審だと思われて終わりだろうか、余計なお世話なのだろうか、と悩むうちに他の理由でスタジオを離れてしまった。

結局、何一つ役に立たず、何もせずに終わった。


先日、人から聞いた。


謎の奇病なので治らない病気であること、そのうち会話が成立しなくなったので施設に入ったこと、そこからレッスンに通っていたが、骨折してしまい踊ることが難しくなってしまったこと。そして、それきりであること。





私は、どうして中途半端なんだろう。

大事にしたいという気持ちも、また会いたいと思う気持ちも、どれもこれも中途半端だ。

どうにかしなければ、という気持ちが曖昧で、ぼんやりと暮らしているうちに、どうにかならないかと願ってしまう。

ただ思うだけなら、子どもにだってできる。

でも例えばグランマの居所を突き止めて分かったとして、私は何をしたいんだろう。何も背負うこともできないのに。


色んな思いが交差する。

何が正解なのか、まだ私には分からない。